小説のペース

海外の小説をお読みになる方ならお気づきだと思いますが、日本の小説とアメリカなどの小説とでは、物語の進行のペースがかなり違う印象を受けます。

最近、Daniel Suarez という人の”Daemon”という作品を読み始めましたが、なかなか本題(?)というか、事件が明確な形をとってこないため、進めなくなってしまいました。

評判のよいエンターティンメントらしいので、それなりの期待もあったのですが、おそらく、後になって明らかになってくるような事件を、周りから書いているのだろうと思いますが、全体像が見えてこないのです。

わたしも、海外の小説は割とよく手に取る方だと思いますが、ときどき、翻訳でも原作でも、こうした気持ちになることがあります。

おそらく、リアリティを出すために、詳しい描写がなされていて、それが、あまりに饒舌に感じられてしまうことが一つの原因かもしれません。

たしかに、ほとんどの国民が黒髪で、黒い瞳をしていて、中肉中背、肥満、やせぎすあたりでかなりイメージがわいてくるわたしたちの世界と、それこそ何もかも説明しなくてはならないアメリカの小説の世界では、事情がかなり違うことは理解できます。

でも、「エヴァ・ライカーの記憶」とかグレッグ・アイルズあたりですと、短めの一章のなかに、衝撃のシーンがあって、そういうところに引っ張られて、ページが進んでいき、気がついてみるとやめられなくなっています。

なにか、「はずれない小説の選び方」がないものでしょうか。

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