松本亨先生は、「英語は訳さなくてもわかる」とおっしゃられて、英語は英語で理解して、自分の記憶にある英語表現を使って、自分の言いたいことを表すという主張をされていました。
わたしは、「訳読」という方法は、ある程度の人数の学力レベルの違った集団を相手に、英語を教えるにはかなり有効なものだと考えています。
わたし自身、できるだけ英語で理解するように努めているつもりですが、他の人に英語の内容を伝えるのであれば、訳してみる、あるいは日本語で説明する方法をとります。
基本的には、英文和訳というのは長年培われただけあって、非常に発達した方法です。
特に、すばらしいのは、ある程度レベルの高い英文にチャレンジする場合に、基本的な英語文法の知識があれば、理解を進めることが可能である点です。
たとえば、ダイレクト・メソッド(トータル・イマージョン・システム)であるレベルの英語を教えるとしましょう。
この英語のレベルが、学習者にぴったり合っている、ないしは、少し上であるなら、対応は可能でしょう。
しかも、こまかな点まで確認して進んでいくためには、教室に入る生徒数も、せいぜい、1人から数人までで、十数人あるいは何十人、という量であれば、対応はほとんど無理になってしまいます。
そういう意味で、教室などで、英語を教える場合には、訳読法を利用することが多くあります。
英語に関してのいわば神話である、「英文法はいらない」とか「訳読は諸悪の根源」などといった考え方には、大きな誤解があると思います。