以前、高校教師をしていた時代に、どちらかというと一部の予備校講師のような考え方をしていた時期があります。
つまり、授業とは、一種のエンターティンメントである。
内容を理解させると同時に、楽しませる授業づくりが大切なのではないか、と。
最近、高校で教える仕事で、実際に教壇に立つにあたり、勉強を教えるということはどういうことかを改めて考えることになりました。
以前、ある方のブログで、伊藤和夫さんや、中原道喜さんの授業について読みました。
おふたりとも、著書をたくさんお持ちの、経験豊かな英語教育者です。
その頭のよさは、実際、著書に目を通すとひしひしと伝わってくる方たちです。
わたしがこうした先生方の授業に及ぶべくもないのですが、こうしたにじみ出る迫力のある授業ができたら良いのに、と考えるようになりました。
いわゆる「おもしろい授業」ではなく、「有意義な授業」を目指すべきだと考えるようになりました。
エブリで教える場合には、多くのレッスンで、ある程度レベルの高い教材を使うことになります。
英検1級や、時事問題を扱った資料では、英文読解の講義だけではなく、物事の背景知識をある程度踏まえて授業する必要があるのです。
高校で教える場合には、こうした知識よりも、やはり英文に関する研究が中心におかれることになります。
そうしたことから、訳読を中心に進めながら、難訳部分の文法解説や、表現の説明といった作業がウェイトを置かれる形で実践する方法を使っています。
果たしてこれがどこまで有効なのか。聞き手たる高校生諸君の関心度にもよる部分は大きいのですが・・・?