英語が話せないのはなぜ?②
英語を話すためには、ある程度、自分の口から自然に出てくる手持ちの表現を持っていないといけません。
「高台家の人々」という漫画がありますが、この中に登場する光正さんは、だれもがあこがれる、ハンサムで家柄もよく、かつ学力もあり、ビジネス力もあるスーパージェントルマン。
この光正さんにあこがれる主人公が、光正さんのアメリカ出張の場面を妄想したりするのです。
そこでの会話が、「ハロー。イッツアンアポー」「イエス、イトイズ」というわけです。
実際、主人公も、「英語力がないので、話しが続かない・・」と嘆いているほど。
というわけで、英語そのものを知らなければ、事は始まりません。
松本亨先生の「英語と私」という自伝的な作品を読むと、このあたりの勉強法が書いてあります。
「日本語に訳していてはいけない。英語を聞いたら、英語のままに理解できるようにならなくてはならないのだ」
そして亨先生は、中学のころに使った英語の教科書を引っ張り出して、最初のページから覚え始めます。
毎日、テキストを片手に、1ページずつ覚えていきました。
かなり大変な練習ですが、これをこなすことで、中学校時代に学んだ表現はすべて暗記してしまいます。
少なくとも、教科書に出てくる範囲でなら、英語を話す準備ができたわけです。
わたし自身は、英語の勉強法といったものも教えてもらった記憶がありません。
松本先生の、この本を読んで、NHKで放送されていた先生の「英語会話」という講座のテキストを覚え始めました。
こうした形で、表現のストックができてくると、すこしずつ、日常の生活に応用することができるようになります。
たとえば、松本先生の「ナンシーとジョージ」という教材の中に、女の子が入院していると、男の子が見舞いにやってくる場面があります。
部活をやった後に病院に現れるので、かなり遅い時間になってしまう。
彼は言います。”Sorry to be so late.”(おそくなってごめん)
彼女はこう返事をします。”You came. That’s all the matter.”(来てくれただけでうれしいわ)
遅刻をした時などには、”Sorry to be so late.”というのが口癖になりました。
ざんねんながら、だれも “You came. That’s all the matter.”とはいってくれなかったのですが。