前回、過ぎ越しの祭り、というユダヤのお祭りと、それが、コロナの感染のため、毎年の祝宴が行えないのではないか、と心配する孫たちのエッセイの始めの部分をお読みいただきました。
今日は、引き続き、このお話を抜粋して読んでいきましょう。
For most of my childhood, I ate almost every lunch and dinner the week of Passover at Mamaw and Pop’s house. (Pap passed away in 2007.) While my family adhered to some of the Jewish dietary laws the rest of the year–no bacon but plenty of shellfish, for instance–during Passover, for reasons I can only explain as “because we’ve always done it like this,” we suddenly became more observant: every product we consumed had to be specifically labeled as Kosher for Passover. Mamaw, who loves fried shrimp, keeps a kosher home and has separate Passover dishes and silverware, so it just made sense for us to go there for your meals.
Passover = 過ぎ越しの祭り(昔からのユダヤのお祭り) Mamaw = 祖母。祭りを取り仕切ってきた。
adhere = 固執する、厳しく守る。dietary = 食習慣 observant = 厳守する
1文 「子供時代、私は過ぎ越しの祭りの期間の昼ごはんと夕食は、祖父母の家で食べていた。(祖父は2007年に亡くなった)
2文 「私たちの家族はみな、過ぎ越しの祭りの間は、ユダヤの食事の決まりのいくつかをまもっていたが、ー(たとえば、ベーコンは食べない、でも貝はたくさん食べるといった)-それは、「今までこういう風にやってきたから」であって、わたしたちは、過ぎ越しの祭りの期間だけ、こうした規則に忠実になった。私たちの食べる物はすべて、過ぎ越しの祭りのためにコシャー(ユダヤ教に従った形で調理されていること)でなくてはならなかった。
3文 「祖母は、揚げた小エビが好きであったが、あくまでもコシャーの決まりを守り、過ぎ越しの料理を銀の織機に取り分けていた。だから、食べ物を受け取るために祖父母の家に行くことにはちゃんとした意味があった」
イスラムでも、イスラム教徒が、食事をする場合には、その動物を、きちんとイスラム式の屠殺の方法にのっとった形で処理してなくてはなりません。同様に、ユダヤでも、食べるためには、それなりの方法で処理してなくてはならないようです。
こうした問題は、私たちのような、異教徒から見ると、よくわからなかったりしますが、実際に海外で貿易業務に携わる方たちから伺うと、とても厳しい規則があって、その方式に従ったものには、ちゃんとそうであることを示すマークがついているそうです。
このあたりは、前回述べたような昔ながらの日本の文化とは相いれない、厳しい規則があります。
ここでは、そういう問題に触れるのは趣旨ではないので、ここまでの説明で終わることにします。
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