今日、本屋さんに出かけたら、新刊で、上記の本が出ていました。
これは、以前、岩波書店から出版されている、井伏鱒二さんの翻訳による「ドリトル先生物語全集」の新訳です。
わたしは、小学生のころから、ドリトル先生物語全集を、毎月、父から買ってもらい、夢中になって読んでいました。
いまでも、内容は、ほぼ覚えているほどです。
でも、新しいバージョンのドリトル先生は、ある意味、驚くほど変わっていました。
一番大きいのは、ドリトル先生の、自分を呼ぶときの表現です。
井伏訳では、「わし」になっていました。
新しい河合祥一郎訳では、「わたし」になっています。
実は、何となくですが、ドリトル先生は、50代か60代くらいの偉い先生なんだろうな、というのが、小学生の時のわたしのイメージでした。
だって、「わし」ですから。
でも、実際に読んでみると、確かに、ドリトル先生はもう少し若いようです。
たとえば、第2作の「航海記」におけるドリトル先生は、闘牛士として、牛の頭の上で、逆立ちをするくらいの人なのです。
とすれば、これは、30代か40代なのでしょう。
これが、「わたし」のおおきなポイントでした。
また河合さんの新訳では、全14巻になっています。(角川文庫版では、多分全13巻になるでしょう)
ひとつは、今回文庫本として出された「秘密の湖」が、通常の倍近いボリュームであるため、子供向けの角川つばさ文庫版では、上下2巻となっていて、そのため、岩波版の愛蔵版12巻が1巻増えています。
もう一つは、ドリトル先生物語の、別巻ともいえる1巻、つまり、食べるの大好きというブタくん、ガブガブが、書いた「ガブガブの本」というのが、つばさ文庫の14巻目になっているということです。
という具合で、昔懐かしドリトル先生シリーズも、いろいろと改変されたところが出てきました。
ちなみに、物語の後半では、月に出かけたり、秘密の湖で、キリスト教の聖書とはいささか異なる「ノアの箱舟」事件を描くロフティングさんですが、実は、このころ、たいへん家庭的につらい思いをされていて、一時期は、月に行ったまま、ドリトル先生を終えてしまおうか、と考えたこともあったそうです。
こういった衝撃の事実や、驚くべきロフティングさんの年表が最終巻、「最後の冒険」に収録されていたり、新しい訳は、訳だけではなく、驚かされる事実がいっぱい出てきていました。
また、この話については、近いうちに書かせていただこうと考えています。
お読みいただきありがとうございます。