ごく最近、カドカワから「ドリトル先生と秘密の湖」という、作者ロフティングの遺作、3作のうちの1冊目が刊行されました。
実は、この本のあとがきに、「ドリトル先生」のお話が、ドリトル先生が月へ行った後、作者のロフティングさんは、絶筆する予定だった、という挿話が書かれておりました。
わたしは、この「ドリトル先生物語全集」を全巻そろえて何度も読み込んできたのですが、この全集では、ロフティングさんのバックグラウンドは、ほとんどかかれておらず、物語だけが掲載されていたので、こうした背景は全く分かりませんでした。
でも、今回、新しく訳をされている、河合祥一郎先生が、先に出版済みの角川つばめ文庫では、ロフティングの年譜を載せてくださり、また、今回の文庫版でも、最後の解説のところで、ロフティングさんの詳しいバックグラウンドについて説明してくださっているので、どうしてそんなことになってしまったのかが、とてもよくわかります。
簡単に言えば、家族を失う、というつらい思いに、ロフティングさんが打ちのめされてしまったから。
41歳のときに、ロフティングさんは、最初の奥さんを亡くしてしまいます。
この奥さんが、もともと、ロフティングさんが、動物の面倒を見て、動物語を話すことのできる、ドリトル先生を生み出すきっかけになった、長男を生んでくれた方でした。
「ドリトル先生」と、ロフティングさんの家族からも呼ばれていた、最初の息子君。
この子のために、夕方6時になると、ロフティングさんは、他の人とのお付き合いを切り上げて、物語に没頭されたのです。
たまたま、お友達の作家の方の紹介で、ドリトル先生の物語は、世に出ることになりました。
そして、第2作目の「ドリトル先生航海記」では、子供文学の名作に与えられる賞を獲得することになります。
ここから、ドリトル先生の人気は爆発的に伸びます。
ところが、そののち、体調を崩してしまった最初の奥さんが、亡くなってしまいます。
さらに、翌年再婚した二人目の奥さんも、インフルエンザにかかってしまい、この世を去ってしまうのです。
このおふたりの奥さんを失ったことで、ロフティングさんは、生きる意欲を失ってしまったのです。
そこで、彼は、ドリトル先生を月に行かせたまま、この物語を終えてしまおうとしたようです。
でも、その後、三番目の奥さんと結婚することになり、もう一度、ドリトル先生の物語を、書き続けよう、という気持ちになられたようです。
その後、「月から帰る」を出され、思い切って長編「秘密の湖」に取り組みます。
しかし、今度は、ロフティングさん自身の体調が崩れてしまうことになり、「湖」を完成させることなく、この世を去ってしまうことになります。
三番目の奥さんのお姉さんが、ロフティングさんの作品の大ファンであったことから、残りの部分の編集や、追加の記載をなさったことで、「湖」と、それに続く、「緑のカナリア」、「最後の冒険」が完成して、ロフティングさんの亡くなった後、完結されることになる、というわけなのです。
岩波版では、簡単に奥さんのはしがきで、こうした経緯がごく軽く触れられます。
でも、角川版の文庫では、もう少し詳しく説明されて、この衝撃の、「月へ行ったまま、帰ってこなかったかもしれない」ドリトル先生のお話、が紹介されました。
これは、ファンであった私にとっても、また、もしかしたら、このコーナーに目を通してくださっている方たちにも、驚きであったかもしれません。
新しい訳の「角川版」にもぜひ、目を通していただけると、うれしく思います。
それでは、また。