論理的であるということ(その1)

「論理的」ということばが、世にはあふれています。

ディベートは「論理性」で勝負するものである、とか、ビジネスを論理的に処理する、といった具合です。

英検においても、「英作文は論理的に書かなくてはならない」とよく言われます。

わたし自身は、自分の論理性にあまり自信がなくて、ずいぶん前から「論理的」という名前の付いた本を見つけると、手に取ってみる習慣があります。

長い時間をかけて、論理的な文章の書き方、や、論理的な考え方、というものがどのようなものか考えてみました。

そこで発見したことがあります。

それは、「論理」を取り上げている方たちのなかには、形式的な「論理性」と、理論的な「論理性」そして、「論理学」が混在していることです。

もう少し詳しく説明します。

形式的な論理性というのは、ある意味で誰にでも受け入れやすいパターン化した考え方です。

英検1級の自由英作文では、序論、結論と本論を使って述べることが要求されています。

序論で、「わたしは○○に賛成(反対)です」と主張します。この時にはできるだけ中心になる考え以外には述べません。

次に本論ですが、これは英検の場合6つの「ポイント」として提示されているトピックがあり、そのうち3つを選ぶことになっています。

したがって、本論①、②、③と用意します。
それぞれについて、「××についてのべます。・・・の点で××はよくありません。それは・・だからです」という構成で具体的な例を出します。

最後が結論で、ここでは、序論と同じように「以上の理由で賛成(反対)です」とまとめます。

このパターン化は、おそらく「細かな検証」という問題に触れずに、試験対策としてまとまった作文を書いていくには良い方法であろうと考えられます。

問題点としては、個々の例がはたして論理的に成立するのかを検証する機会がないことです。

順番が前後しますが、つぎに「論理学」の参考書的なものについて述べていきます。

これは何が正しいか、ではなく、学問として(あるいはパズル的な意味で)論理学を学んでいくもので、基本的な考え方として、論理の枠組みを理解することができます。

ただ、これでは、実際の文章における論理性の問題が解消されません。

それでは、実際の論理性ということは、どうなるか、ということになりますが、それについてはまた稿を改めます。

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