マッカーサー元帥、といえば、日本が戦争に負けて、アメリカの支配下にはいっったとき、日本に駐留した軍の総司令官として有名な人物です。
天皇陛下と並んで、胸を張った写真とかが有名なのですが、実は、アメリカ人の間では、頑固で、プライドの高い、たたき上げの軍人として知られています。
そして何よりも、朝鮮戦争の当時、中国を攻撃、粉砕してしまおうと、大統領に進言した人物なのです。
タイム誌が、Booksの欄で紹介しているのが、The General vs. the President at the Brink of Nuclear War.というこのあたりの事情を描いた本。
もともとダグラス・マッカーサーという人物は、自分を押し通すタイプだった。
1932年、当時の大統領、ハーバート・フーバーからアナコスタ川周辺に集まっている退役軍人とその家族を追い払え、という命令を受けた。
もともとこの退役軍人たちは、政府が彼らの給料の支払いを遅らせたために、生活苦から集まった人たち。
川の岸辺にテントを張って、給料の支払いを求めていた。
当時、若き陸軍参謀長のマッカーサーは、勝手にこの命令を読み替えて、大規模な大虐殺にしてしまう。
数百人の兵士は、マッカーサーの命令で、キャンプを焼きはらい、幼児を射殺し、ウサギを追いかけていただけの少年を銃剣でついて殺してしまう。
カメラマンたちは、この惨劇を記録に残した。
そして、一般の人たちの目に、この光景は焼付いた。
これを耳にしたフーバーの再選の対抗馬、フランクリン・ルーズベルトは、「これで、おれの勝利は確定した」と友人に語ったと伝えられる。
おそらくこれが、ルーズベルトがのちにマッカーサーを、アメリカで最も危険な男として認識することになるきっかけでもあった。
こうした事実が明らかになったのは、1950年代になってからのこと。当時、マッカーサーは、朝鮮戦争の司令官として韓国にいた。
トルーマンの命令を無視して、当時「レッドチャイナ」と呼ばれていた中華人民共和国を、先制攻撃をして叩き潰してしまおう、という計画を持っていた。
この計画は、言うまでもなく危険なもので、アメリカにとっては、そんな必要もなければ、むしろ自殺行為に近いものだった。
大統領は、国家の絶対権力者である。
マッカーサーは、軍のトップにすぎない。
しかし、彼にとって、シビリアン・コントロールという、一般人が軍の最終的決定権を持つという考え方は、とても理解できないものだった。
最終的に、トルーマンは、マッカーサーをクビにしてしまう。
それでもマッカーサーは中国つぶすべし、の主張を変えない。
次の大統領になるアイゼンハワーに接近して、自分の主張を唱え続ける。
幸か不幸か、アイゼンハワーは、アナコスタ川の悲劇の時の副官を務めていた。
マッカーサーがどういう人物かわかっていたため、彼の主張には耳を傾けなかった。
タイム誌によると、特にトルーマン対マッカーサーの暗闘を通じて、生き生きとこの歴史の流れを描いているのがこの本だ、ということだ。
まさにマッカーサー秘録というにふさわしい本と言えるでしょう。
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