Topic Sentence を活用した英文理解③

引き続き、もう少し長い文での練習をしてみましょう。

The speed of communication means that all people of the world have a new responsibility.  People in different countries must try harder to understand each other.  An example is that people with different religions must try to understand each other’s beliefs and values even if they do not accept them.  Sometimes their cultures are quite different.  What one group consider a normal part of life is strange to another culture.  In some cases, a normal part of one culture might be bad or impolite to the other people.  That kind of difference is a possibility for misunderstanding.  People  must learn not to judge others, but to accept them as they are.  Then understanding between cultures can be better.  Misunderstanding can be avoided.

1文目。

The speed of  communication means that all people of the world have a new responsibility.

コミュニケーションのスピードが意味するのは、世界の全ての人たちが新しい責任を負うということだ。

さあ、ここでresponsibility という新しい概念が出てきました。「責任」でなに?

2文目。

People in different countries must try harder to understand each other.

違った国の人たちは、互いに理解し合うように努めなくてはいけない。

3文目。

An example is that people with different religions must try to understand each other’s beliefs and values even if they do not accept them.

一つの例は、違った宗教の人たちは、互いの信仰と価値観を、理解しなくてはいけない。たとえ、受け入れないにしても。

understand (理解)とaccept (受け入れる)という2種類の考え方。

以前、フランスで、イスラム系の女性が学校に通学するときに、ベールで顔を覆うのが禁止されました。フランス的に考えれば、顔をさらすことは、自分であることの証明であり、犯罪や破壊工作をしない、という意志の表明でもありました。ところが、イスラム系の考え方によれば、女性がより多くの身体の部分を家族以外の男性に見せることは、その男性に、浅ましい気持ちを起こしてしまう間違った行動だ、ということだ、というわけでした。ここが、understand と accept の違いを生み出すことになるわけです。

4文目。

Sometimes their cultures are quite different. 

時として、文化は大きく異なる。

5文目。

What one group consider a normal part of life is strange to another culture.

what は「~すること、もの」の意味があります。そこで、what one group consider a normal part of life というのは、「一つのグループが、ごく普通の生活の一部、と考えること」となり、それをうけて、

「一つの集団が、当たり前の生活の一部、と考えることが、別の文化にとっては奇妙な事になる」

6文目。

In some cases, a normal part of one culture might be bad or impolite to the other people.

時としては、ある文化での普通のことが、他の人々にとっては、よくない事であったり、無礼なことになったりする。

たとえば、日本人は小さい子供の頭をなぜることに抵抗も疑問も持ちませんが、インドでは、左手では、そのようなことをしてはならないことになっています。というのは、左手は不浄な手、ということで、人の頭をなぜるなんて、とんでもない、というわけです。(もっとも世の中には、ある程度左利きの人たちがいますから、こうした社会だと生きにくいことになるでしょうね)

7文目。

That kind of difference is a possibility for misunderstanding.

こうした違いは、誤解の可能性がある。(誤解を生むことがある)

8文目。

People must learn not to judge others, but to accept them as they are.

人々は、他の人たちを「判定」するのではなく、あるがままに受け入れることを学ぶべきだ。

9行目。

Then understanding between cultures can be better.

そうすれば、文化同士の理解が深まる。

10行目。

Misunderstanding can be avoided.

誤解は避けられる。

ここまで読んでくると、冒頭のa new responsibility がどういう意味が解ってきます。

つまりこの文は、③のタイプの文だと考えると、わかりやすいでしょう。

大きな流れを見ていくとよいと思います。

 

異文化理解には、わたしたちが当たり前、と考えている内容を捨てなくてはならない場合さえあります。

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