本当に天才としか呼べない人たちがいます。
わたしが高校で教えていたころ、Aくんがいました。
かれは、英語の授業中に、物理の本を広げていました。
普通だったら注意するのですが、彼の場合には特殊事情がありました。
この時もそうです。
訳読の作業が一段落したとき、突然、手を上げて、「先生、質問があります」といいます。それからおもむろに机の上に重ねられていた物理の本をどけ、ノートを持ち上げると、その下にあった英語の教科書を取り出して、かなり難解だったある英文の訳し方について質問をしたのでした。
また、別の方でOさんという方がみえましたが、この方の娘さんは、大学生の頃、お母さんの使っていた英検1級の問題集をちらちら見ていて、次の試験であっさり1級に合格してしまったそうです。
もっとも、この方の場合、あまり英語に執着はなかったようで、次には司法試験を目指し、これまた、至極簡単に受かってしまったらしい。
わたしたち、凡人にとってはうらやましいとしか言いようのないことですが、ご本人にとっては、英語も、弁護士資格もあまり執着が持てるものではなかったらしく、さらに別の方向に進んでいったと伺っています。
一つの物事に時間をかけて取り組んで、失敗をくりかえしていく間に、その物事(たとえば英語ですね)に対して、愛着が生まれてきて、それで頑張っていこう、という気持ちになっていくものだとすれば、こうした「天才肌」の人たちにとって、試験などに簡単に合格できることは、それほど幸せなことではないのかもしれません。
何回もチャレンジしても合格できないのも悲しいことですが、そこまでの執着が持てず、何が自分の得意なのかわからないのもつらいことかもしれません。